映画地図

『ラストエンペラー』 (1987)

『ラストエンペラー』の舞台と、実際の撮影地。

紫禁城は実在するが、刑務所の監房と満洲国の評議室は、ローマに組まれたセットである。

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『ラストエンペラー』
写真: xue siyang (df45086) · CC BY-SA 3.0 · Wikimedia Commons

場面と場所

溥儀が撫順監獄に到着 (1950)

1950年、溥儀は政治犯・戦犯として撫順監獄に到着する。その後まもなく自殺を図り、救助される。

物語の舞台 撫順戦犯管理所 — 中国東北部の刑務所。映画の1950年を舞台とする枠物語はここから始まる。 Google マップ · Apple マップ

溥儀の物語が回想形式で語られる監獄。

実際の撮影地 黒竜江省綏芬河駅 — 日本語版ウィキペディアの一文は、到着場面の撮影地を綏芬河駅としている。別の情報源(『Hello』誌)は、冒頭が長春駅で撮影されたとしている。 Google マップ · Apple マップ

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監房での取り調べ (1950)

共産党の再教育プログラムの下、尋問官たちは溥儀に対日協力の放棄を迫る。

物語の舞台 撫順戦犯管理所 — 溥儀が日本の支配下での歳月について尋問を受けた監房と取り調べ室。 Google マップ · Apple マップ

監獄の内部は、ローマに組まれた撮影用セットで代用されている。

実際の撮影地 チネチッタ・スタジオ(ローマ) — イタリア語版と日本語版のウィキペディアは、監獄の内装が造られたスタジオとしてローマのチネチッタを挙げている。 Google マップ · Apple マップ

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西太后、幼子を召す (1908)

幼い溥儀は、臨終の西太后によって紫禁城に召し出される。西太后は、彼が次の皇帝になると告げる。

物語の舞台 北京の紫禁城 — 臨終の西太后が幼子を迎える宮殿。 Google マップ · Apple マップ

西太后の寝室は、北京に組まれたセットで代用されている。

即位式 (1908)

即位の後、溥儀は新しい環境に怯え、何度も家に帰りたいと言うが、認められない。

物語の舞台 紫禁城の太和殿 — 幼い皇帝が即位する正殿。 Google マップ · Apple マップ

紫禁城で最大の殿舎。

実際の撮影地 紫禁城の太和殿 — 即位の場面は、許可された8週間の撮影期間中に、実在の殿舎で撮影された。 Google マップ · Apple マップ

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城壁の中で育つ (1919)

宮中に閉じ込められた溥儀は、兄の訪問を受け、1919年に西洋人の家庭教師をつけ、婉容と結婚し、その後宮廷の宦官を解雇する。

物語の舞台 北京の紫禁城 — 溥儀が成長し、ジョンストンに学び、結婚する外庭。 Google マップ · Apple マップ

撮影が許可されたのは外庭と太和殿だけである。

実際の撮影地 紫禁城の外庭と太和殿周辺 — 英語版とイタリア語版のウィキペディアによれば、撮影が許可されたのは外庭と太和殿だけである。 Google マップ · Apple マップ

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宮中の庭園 (1920)

溥儀の宮中での日々には、庭園の場面が含まれる。

物語の舞台 北京の紫禁城 — 溥儀の宮中生活が描かれる御苑。 Google マップ · Apple マップ

二つの情報源によれば、頤和園で撮影された。

実際の撮影地 北京の頤和園 — 日本語版ウィキペディアと『Hello』誌は、庭園の場面の撮影地として頤和園を挙げている。 Google マップ · Apple マップ

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英国クラブの舞踏会 (1925)

天津へ追放された溥儀は、遊び人かつ親英派として退廃的な生活を送る。

物語の舞台 天津の英国クラブ — 天津租界の英国クラブでの舞踏会。

天津のクラブは、イタリア北部の温泉町で代用されている。

実際の撮影地 サルソマッジョーレ・テルメのパラッツォ・デイ・コングレッシ — イタリア語版ウィキペディアによれば、天津の舞踏会はイタリアのこの会議場で撮影された。 Google マップ · Apple マップ

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日本公使館 (1930)

溥儀と婉容は天津で暮らし、柳条湖事件の後、溥儀は日本側につく。

物語の舞台 天津の日本公使館 — 溥儀と妻が天津で暮らした住居。

公使館は、ローマの学校で代用されている。

天津港での別れ (1930)

溥儀の天津時代には、港でジョンストンと別れる場面が含まれる。

物語の舞台 天津港 — 天津の港。

大連の港が天津の港の代わりを務める。

実際の撮影地 大連港2号埠頭の待合室 — 日本語版ウィキペディアと『Hello』誌は、大連が天津の代わりに使われたとする。座標は待合室ではなく港全体を指している。 Google マップ · Apple マップ

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天津の夜 (1931)

溥儀が日本側につく前の、天津での遊び人時代。

物語の舞台 天津 — 天津の夜の通り。

大連の中山広場が天津の代わりを務める。

実際の撮影地 大連の中山広場 — 日本語版ウィキペディアの一文は、この広場に旧横浜正金銀行大連支店があったと記している。 Google マップ · Apple マップ

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満洲国の宮廷 (1934)

1934年、日本は溥儀を満洲国皇帝として即位させるが、その名目上の最高権威はあらゆる場面で損なわれている。

物語の舞台 長春の満洲国皇宮 — 傀儡国家の皇宮で、現在は博物館となっている。 Google マップ · Apple マップ

傀儡国家の実在の皇宮。

実際の撮影地 長春の満洲国皇宮博物院 — 舞踏会の場面には、実際の皇宮の同徳殿と玄関ホールが使われた。 Google マップ · Apple マップ

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評議室と食堂 (1935)

日本が実権を握る一方、溥儀は名目上の統治者にとどまる。

物語の舞台 長春の満洲国皇宮 — 皇宮の評議室と執務室。 Google マップ · Apple マップ

これらの内部は、ローマのスタジオのセットで代用されている。

実際の撮影地 チネチッタ・スタジオ(ローマ) — 日本語版ウィキペディアによれば、これらの内装はチネチッタにセットとして造られた。 Google マップ · Apple マップ

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植物園で働く (1959)

1959年に釈放された溥儀は、その後、庭師として質素な生活を送る。

物語の舞台 北京の植物園 — 元皇帝が働いた植物園。

撮影場所は特定できていない。

紅衛兵のパレード (1967)

1967年、溥儀は仕事帰りに歩いていて紅衛兵のパレードに出くわす。

物語の舞台 北京の通り — 文化大革命中の北京の通り。

この通りは今はもうない。

博物館の玉座 (1967)

溥儀は故宮博物院を訪れ、玉座の壇を上り始める。

物語の舞台 北京の故宮博物院 — 博物館としての紫禁城。 Google マップ · Apple マップ

映画の最後の場面に登場する玉座の間。

実際の撮影地 紫禁城の故宮博物院 — 博物館の場面は実在の宮殿で撮影された。 Google マップ · Apple マップ

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登場人物

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